元Vリーガー 滝沢ななえさんに聞く、「自分らしくいられる世界の作り方」

2021/03/16

元Vリーガー 滝沢ななえさんに聞く、「自分らしくいられる世界の作り方」

プロバレーボール選手として活躍後、
パーソナルトレーナーとしてセカンドキャリアをスタート。

そして2017年には
セクシャルマイノリティを公表した、という一面を持つ
滝沢ななえさん――。

アスリートとしてのセカンドキャリアはどう決めたのか。
セクシャルマイノリティという一面を持ちながらも
自分らしく生きていく秘訣とは何なのか。

本インタビューでは迫っていく。

滝沢ななえ

滝沢ななえ(Takizawa Nanae)

1987年9月22日生まれ、東京都出身。八王子実践中学・高校と進み、高校2年時に、春高バレーでベスト8進出。卒業後、V・プレミアリーグ、パイオニアレッドウィングス(2006-2009年)に入団。2009年、V・チャレンジリーグ上尾メディックスに移籍し、2013年7月に現役を引退した。その後、バレーボールスクールのコーチを経てパーソナルトレーナーに転身。2019年11月、東京・六本木にパーソナルジム「PERSONS Training Salon」開業する。2017年、出演したテレビ番組で、レズビアンであることを公表。スポーツ界では数少ない、セクシャルマイノリティであることを公表している一人。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

本日はよろしくお願いします。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

よろしくお願い致します。

アスリート経験について

バレーボール人生のスタート

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

本日はプロバレーボール選手としての活動を通して学んだことや、アスリートとしてのセカンドキャリア、セクシャルマイノリティというバックグラウンドなど、様々なお話を伺いたいと思います。

まず、滝沢さんがバレーボールを始められたのはいつ頃なんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

バレーボールを始めたのは小学校2年生の時です。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

ずっとバレーボール一本だったんですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね。習い事って言ったらもうバレーボールしかやったことがなかったです。
小学校の時、周りのみんながやっていた公文とか、塾とかに行ってみたいと言ったことはあったんですけど、バレーボールしかやらせてもらえず…(笑)

小学校まではそんなに強いチームでやってたわけじゃなかったんですけど、八王子実践中学から声がかかって、そこから結構本格的にバレーボールをやるようになりました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

名門ですよね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね。強豪校ってなると、楽しく部活をやりましょうっていうより、どうしてもこう…勝つために皆が集まっているわけで、厳しい中で毎日部活をやっていたので、「バレーボールが楽しくて仕方ない!」という感覚は学生の頃は少なかったですね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

お母さまに「やめたい」と言ったら、「じゃあやめれば?」と言われたそうですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

放任っていうわけじゃないんですけど、「やめたらいんじゃない?」と強要はされませんでした。私の性格を分かって、あえてそういう風に言ってたんじゃないかなと思います。
「やめれば?」って言われたら「いや、やるよ。」という風になってましたね(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど(笑)
高校もそのまま八王子実践の方で、寮生活を送っていたんですよね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

はい。大部屋で、9人部屋だったかな。
一人一枚ずつマットレスを与えられて、基本的にその上で生活する、みたいな感じでしたね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

もうバレーボールが青春という感じですよね。

そんな中で、高校の大先輩でもありバレーボール元日本代表の「三屋裕子さん」との出会いがあったんですよね。これはどういう出会いだったんでしょうか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

「コーチングキャラバン」っていうテレビの企画の一つで、元全日本選手や監督経験者の方たちがどこかのチームに指導をしに行くっていう企画だったんですけど、三屋さんが母校でもある八王子実践に指導しに行くっていう企画があって、三屋さんとはそこで出会うことになりました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

かなり刺激になったということで…

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

当時私が中学3年生で、引退して高校生の練習に参加してる時に三屋さんが初めて来てらしたんですね。

今でも忘れないんですけど、三屋さんがいらしたその日に「あんたたちに緑のユニフォームを着る資格はない!」と怒られ…もう怖いの一言(笑)

初日は全然ワクワクどころじゃない感じで終わりました。

厳しい指導に思うこと

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど…(笑)
今の時代って、学校の部活でも会社とかでも、厳しすぎるとパワハラになって良くないという風潮があったりすると思うんですけど、そのあたりはどのように感じられていたんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

中学の時の監督も、高校の時の監督も、そして三屋さんも本当に厳しかったんですけど、私たちが全国大会で優勝するっていう目標があってみんな集まっているので、やっぱりそこには「その夢を叶えさせてあげたい」っていう想いがあって先生たちも怒ってると思うんですね。

私達の時代は厳しくするのが当たり前の時代だったんですけど、生徒と先生の間に信頼関係があるかどうかっていうのはすごく大きかったんじゃないかなと思います。私たちも三屋さんのことを慕っていたし、慕っていたからこそ怒られても頑張れたというか。

それが今の時代だったら良くないことになっちゃうかもしれないですが、あまりそう捉えることはなかったですね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

まずは信頼関係が大事ということで、指導者も独りよがりにならないってところが大事なんですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そう思いますね。
やっぱりただ怒ってるだけっていうよりも、指導者側の思いも伝わればそこに信頼関係が生まれてくると思うんです。そういうのありきで厳しい指導っていうのは 成り立つんじゃないかなと思います。

卒業後の進路をどう決めた?

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど。
そういった厳しい指導の中で全国ベスト8という成績も残されて、大活躍の高校時代を過ごされたと思うんですが、高校卒業後の進路については体育大学への進学を考えていらっしゃったんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね。中学生の時から体育の先生、バレー部の顧問になってみたいなっていうのがあったので、そうなると教員になる必要があるし、体育大学への進学を考えていました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そうなんですね。
そこでプレミアリーグから声が掛かったということで、どういうふうに選択をされたんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

体育大学に行くかプレミアリーグでバレーボールをするかってなった時に、もし私が大学生になってバレーボールを続けたとしても、もうその後、プレミアリーグから声がかかる確率はすごく低いだろうなって思ったんです。

体育の先生っていうのは大人になってからでも、例えば引退してからでも出来ると思ったので、やっぱり今しかできないこと、こっちを選択するべきだなと思ってプレミアリーグに行くことを決めました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

いつ選手生命が絶たれるかも分からない、安定していないプロの道を選ぶのも勇気が必要だったと思うんですが、どのようにして決断に至ったんでしょうか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

当時はまだ18歳だったので、そこまで考えていませんでしたね。
例えば公務員になった方が安定してるとか、今だったら確かにそうだと思うんですけど、でも当時は本当に今しかできない、この瞬間しかできないことってバレーボールだなって思っていました。

プロのバレーボール選手になるっていう事は誰にでもできることではないし、チャンスがめぐってきた人だけができることなので、そういう思いしかなかったかなって今は思いますね。時にはそういった勢いも大事だと思います。

はるかに違う、プロの世界

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

今しかできないことに集中する。勉強になりますね。
高校では全国ベスト8にも入って華々しく活躍されていたのですが、やっぱりプレミアリーグになると周りの選手のレベルも高くなりますよね。ここのギャップは結構あったんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

ここは、高校生のレベルとプロのレベルってはるかに違っていて。学生の頃までは自分が最前線でやっていたけど、到底追いつけないぐらいのレベルの差がありました。

初めてバレーボールをやっていて、私ってこんなにバレーボール下手くそなんだなって実感というか、痛感ですね。プロに入ってから、自分って全然ダメなんだっていう強烈な感覚がありました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そこで挫折を経験されたんですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね。
初めて自分がユニフォームも着れないっていう経験をしました。
でも心が折れてしまうっていうことは全然なくて、学生の頃ってどうしても先生が怖いし怒られるし、「やらされるバレー」になりがちだと思うんですけど、大人になったらやらされるって事はなくて、できて当然という世界なので、誰かが怒るとかもしないし練習も強制されないし。

だからこそ自主的にやらないと、本当に置いてかれる一方だったので、そこはすごく前向きに、謙虚にがむしゃらになれたいい時期だったな~って思っています。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そこですぐに前向きに捉えられたっていうのが素晴らしいですね。

社会人の場合でも、学生の頃は言われたことをやっていればよかったっていうところからいきなり特に教えられずに成果を出していくだったりとか、自分で生きていくような環境になって、今まで学校の中で評価されていたのに、社会に出たらいきなり評価されなくなってしまって心が折れてしまうっていう方も結構いらっしゃると思います。

その心が折れなかった考え方っていうのはどのようにされたんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね~。私が一番最初に18歳で入団した時に、一番上のベテランの方に「一番下の子たちは確かに試合に出るわけじゃないけど、一番下の子たちのレベルがそのチームのレベルになると思う」っていうふうに言われた時に、自分もチームの成績に関わる一員なんだな、っていうのを教えてもらった気がして。

そしたらもう迷惑もかけられないじゃないですか。チームプレイが大事な団体競技なので、そういう点でやっぱり「前向きに頑張るしかない、とにかく今自分が出来ることを出来る範囲でやるしかない」っていうような考え方にはなりました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど。
チーム内でしっかり切磋琢磨できるような環境が、チームが勝つためにも必要ということですね。

でも、チーム全体の中でも自分がなかなか上に行けない、下のポジションにずっといるみたいな状況になると、どんどんプライドが傷ついてしまったり自信をなくしてしまったり、人と比べてしまって自分のできないところにばかり目がいってしまったりしてしまうと思うんですけれども、そういったところはなかったんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

私もそういう経験はあります。
上尾メディックスに所属していた時、最後の2年くらいが結構しんどくて、移籍した1年目は自分が試合に出てたんですけど2年目からは違う選手が入ってきて、その子が試合に出るようになったんです。

当時の自分はそのメンタルの立て直しができなくて。当時の自分には、時が戻せるなら「控えの選手の大切さ」っていうのをすごく伝えたいです。一人で試合をしてるわけじゃないし、バレーボールは特にチームの底上げだったり、チーム力が本当に大事だったので、当時の自分には本当にこれを伝えたいです。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

もし今、夢を追っている中で悩んでやきもきしてる方がいたら、どんな言葉をかけたいですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね~。
その時はすごく辛いと思うんです。
結果も出ないし、自分が最前線で活躍できるわけでもないし。ただ先ほども言ったんですけど、そこで腐ったりちょっと後ろ向きになってしまうと、それはチームプレーをしてる方あれば「チーム力」としてチーム全体が下がってしまうことでもあるので、そこはもうちょっと考えを前向きにする努力をすると良いと思います。自分自身それが出来なかったからより思うんですけど。

あとは、成果が出ない時に、いかに這い上がれるかみたいな考えを持つことですね。
そこって絶対に人間が成長する場面なので、それは選手を辞めた後にでもすごく役に立つ経験になると思います。今は成長する時なんだなっていうふうに思って、耐えて頑張って欲しいですね。

引退後のセカンドキャリア

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

一度割り切って、とりあえず前を向いて自分にできることをまずやってみるということですね。
ありがとうございます。

上尾メディックスで4年ほどプレイされた後、2013年に現役を引退されて、約20年間のバレーボール人生に幕を閉じたということですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

はい。もう完全にやりきった感があったので。
もう一度バレーボールやりたいなと思うことは今でもないですね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そうなんですね。

本当にやりきって、きっぱり次のセカンドステージへということなんですが、この時点で27歳ですよね。
27歳となると周りは結婚したりとか、仕事をバリバリやってる人もいると思うんですけど、次やってみたいこととかはあったんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

引退した時は、まずは何もしたくなくて、1年くらい休もうと思ってたんですよ。ずっとバレーボールしかやったことのない人生だったので、友達と遊んでみたりとか色んな事をしたいと思って、1年間何もしないで休もうと思ってたんですけど…。

性格的な問題もあるのかな、3ヶ月くらいでそれは飽きてしまって。
全然向いてなかったですね、のんびり過ごすのは(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

結構短いですね(笑)
やっぱり何か神経を注げるようなものが欲しくなったんですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね。ずっとバレーボールに向けて頑張っていたので、目を向けるものが何もないっていうのがちょっと自分には向いてないかな、と(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

だからと言ってじゃあ次何をするかってなるとまた難しいですよね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

やっぱり自分には何ができるのかなっていうのを考えました。
バレーボールしかやったことない人間が、いい大人になって次に何を新しく始めるんだってなりますよね。

あれがやりたい、これがやりたいっていう想いもなく、「本当にどうしようかな、仕事って言っても働いたこともないしな」と思いながら、結局やっぱり自分にできることはバレーボールしかないなと思ったんですね。今までずっとやってきたことで、お仕事になればいいなっていうのがあって。アルバイトの検索じゃないですけど、そうやって探しはじめましたね、次の仕事は。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

初めて求人を探すところから取り組んだんですね。
1社目の会社さんはTシャツで面接に向かわれたということでビックリされてしまったとか…(笑)

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

今でも言われますね。面接にTシャツで来た人滝沢さんくらいよって(笑)
でも、その勤めたところの社長さんと総務の女性の方が、何もできない元アスリートをビジネスが出来るようにしようっていう風に手をかけてくれて、色々教えてもらいました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

人に恵まれたんですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

本当にそう思いますね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

今滝沢さんのようなアスリートの方で、セカンドキャリアを探していかなければならないような方もいらっしゃると思うんですが、アドバイスというか、やっておいた方がいいことはありますか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

結構アスリートのセカンドキャリアって大変だと思うんですね。
本当に社会人をやったことがないので。

なのである程度、辞めた後に何か「こんなことがやりたいかな」っていう目星じゃないですけど、つけておいて損はないと思います。本業一本っていうのもすごく大事だと思うんですけど、私が本当に苦戦したのはパソコンです(笑)

これはもう本当に苦戦しました。社会人になるとパソコンに触れるってことは最低限必要になってくることなので、できることから今のうちにやっておくことはすごく大事だな、と思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

本業もしっかり力を入れつつ、ちょっと他の事にも興味を持ってみたりとか。
まずはいろんなことに興味をもって視野を広げてみる、っていうことが大事だということですね。

その後、現在はパーソナルトレーナーの道に進んで独立されていて、東京の六本木でパーソナルジムの運営もされているということですね。中々、これも結構思い切ったというかすごい決断ですよね。

勢いで始めちゃえみたいな感じでチャレンジされたんですか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね、もちろんやってみたいなって思った時には、それなりに成り立つかっていうことは考えますけど、結局はやるかやらないかの二択なので、思っていることがあるのであれ ばそれを行動に移すってことは心掛けていました。

まずはやってみなきゃ分からないし、やらなかったらその先は何もないし。なので迷っているのであればやろうっていう風には自分では思っていますね。

失敗に対する考え方

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

すごいですね。
今は働き方も多様化しているので、独立やフリーランスをやってみたいと思う方もいらしゃると思います。

でもそうなると、やっぱり失敗したらっていうリスクを考えたり、本当に自分できるかなっていうところが足かせになって、なかなか一歩踏み出せなくなってしまったりすると思うんですが、そこはどういう風に突破していくと良いでしょうか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

もちろん会社に所属するっていうのが向いてる人もいるし、そういう向き不向きもあると思うんですね。でも、やってみたいという気持ちがあるのであれば、まずはトライしてみることだと思います。たとえトライして駄目だったとしても、私はやり直せると思っているので。

例えば独立してみたいな、フリーでやってみたいなっていう思いがあった時に、まずはやってみて、もちろんダメになる事ってあると思うんですけど、そしたらそれはまた改善して やり直せばいいだけだと思っています。死にはしないって考え方に結局なってしまうんですけど(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

別に失敗は、失敗ではないと捉えて成功までのプロセスの一つでしかないと。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

うん、やっぱり絶対にやり直せるはずだし、改善していけばいいと思います。
なので自分の中ではあまり躊躇がないと言いますか。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

滝沢さんは、キッパリ、サッパリされている印象ですね(笑)
はつらつと、よどみない感じがすごく印象的です。じゃあまずはやってみたらいいってことですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

トライアンドエラーかなと思ってますね。

セクシャルマイノリティについて

自分軸で生きていく

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

自分らしく生きて、このように今も活躍されていらっしゃるんですね。

話が変わりますが、引退後の2017年に、ご自身のセクシャルマイノリティの公表をされましたよね。これについてはスポーツ界ではなかなかそういった公表をするような方が少なくて、注目されています。

また、この公表に勇気をもらった方も少なくないんじゃないかな、と思います。スポーツ界で言うと、サッカーの下山田志帆選手なども公表されていますが、業界ではそのあたりの理解はこれからという感じなんですかね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね。やっぱり海外に比べて日本ではあんまりって言われますよね。

公表しながら現役でプレーしてる方っていうのはまだまだ少ないんじゃないかな、これからなのかな、と思ってます。

私も一番最初、私から勇気をもって言ったっていうよりは親友から聞いてきてくれたりとかして、公表のしやすさで言うとすごく環境に恵まれたなと思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

やっぱり人によっていろんな環境で過ごされていて、中には自分らしさを発揮するのが難しい方もいると思うんですが、自分らしくいられる環境っていうのはどういうふうに作って行かれたのか、お伺いできますか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね~。
まずカミングアウトすることが全てではないと私は思っています。

私の知り合いのセクシャルマイノリティの方たちの中でも、全くカミングアウトせずに言うつもりもないという方もいて、それで幸せに生活してる方もいるので、それならそれでOKだと思うし、自分がどういられると幸せかっていうことを考えた方がいいです。自分軸で生きていくっていうことがすごく大切なんじゃないかなって思いますね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

親御さんの反応も気にしたりすることもあったということなんですが、ただ親の人生じゃなくて自分の人生だからと思われたんですかね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね、他の人がどう思うかな?って思っていた時期ももちろんあるんですけど、やっぱり今はそうじゃなくて、どうやったら自分が幸せでいられるかなっていうところを考えます。

やっぱり人の人生ではなく、自分の人生だから、自分がいかに生きていく上で生きやすい道を選ぶか。それに対してどう行動していくかだと思ってます。

言えない孤独の克服方法

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

環境のせいで自分が好きなものを好きって言えず、我慢して好きじゃないものを好きって言って生きていたりとか、そういったことがなくなって多様な価値観の中で色んな人が自分らしくいられるような社会が実現していくとすごく良いなと私も思います。

滝沢さんは結構SNSなども頻繁に更新されていて、いろんな人の勇気に繋がっていると思うんですけど、セクシャルマイノリティなどで悩まれている方に向けて、何かこう伝えられることであったりとか滝沢さんだから発信できること、想いだったりとかはありますでしょうか。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

言わないでいいっていうスタンスで生きてる方たちもたくさんいると思うんですけど、やっぱり言えないでいることがすごく孤独に感じてしまったり、それが苦しさに繋がるのかなと思うんですね。

言えなくって苦しいとか、それが孤独っていう感覚があるのであれば、今はSNSだったりとかいろんな発信の方法があるので、まずはリアルではなくてネットの繋がりとかからでもいいと思うので、自分を隠さずに話が出来る場所を見つけるっていうのはすごく大切というか、大事かなという風に思います。

私の所にもダイレクトメッセージ届いたりしますし、そういう形でもいいと思うんですね。自分らしい、隠さない自分でいられる場所っていうのを是非見つけてほしいなと思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

100人いて、100人全員に理解されなくていいですもんね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

その通りだと思います。

やっぱり私たちも多様性って言ってる分、受け取る側もいろんな方がいるので、マイノリティを理解できない方もいるのは承知の上で発信してますし、100人に好かれようとか、認められようっていうのは無理なことなので、気にしなくて良いと思います。

分かって欲しい人だけが分かってくれればいいっていう風に思っているし、私もSNSで発信していて多くの方が応援してくださったり、共感してくれたりとかがあってそれはすごく良かったな~って思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

セクシャルマイノリティ以外のところでも、自分のあまり人に理解されづらい価値観だったりとか、好きなこと、何か言いづらいいろんなものがあると思うんですが、そういったものを全員に知ってもらおうというよりは、まずは共感できる仲間を見つけてそこから徐々に広げてったりとか、もしくはそこだけでとどめるとか。

そういう生き方がきっと楽ちんなんだろうなと、それが生きやすさに繋がっていくんじゃないかなと私も思います。

まずはお互いに理解して、安心してお話ができるいろんな方法が見つけていけるといいですね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね、自分の心が楽になる時間もできるんじゃないかなと思います。

自分の幸せの見つけ方

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

滝沢さんのような等身大の自分っていうのは、どういうふうに発見していくと良いですかね?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

自分がどうあれば幸せでいられるのかなっていうのはすごく考えますね。 例えば見た目に関しても、昔は髪が長かったんですが、今のパートナーと一緒にいる中でお互いちょっとボーイッシュにした方がいいね、ってなってこういう見た目にもしましたし。

こういう風にいられたらきっと幸せなんだろうな、っていうイメージとかって結構たくさんあると思うので、自分とちゃんと会話してあげるっていう事はすごく大事じゃないかなと思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

肩書きだったりとか、世間体とか、そういうのが良しとされてるみたいなこともあると思うんですが、人と比べない生き方っていうところはバレーボール選手の経験の中から来ているんでしょうか?

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

私も周りと比べてしまった経験もありますけど、比べるときりがないと言うか。
結局自分がその人にはなれないのに、羨ましく思ってしまうとか。そうなるとすごく辛いですよね。他人と比べても解決しない、解決にはならないと思って、そういうことで悩まないっていうことはすごく大事ですね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

他人の幸せの基準ですからね。自分がそこに当てはまらないっていうことですよね。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

「自分軸」で生きていくっていうのが幸せになれる方法なのかなって自分では思ってます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

自分軸で生きていく。
良いですね。ありがとうございます。

では、今後どういうことをしていきたい、どうなっていきたいなど、
今後のビジョンがあれば教えてください。

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

そうですね、まずパーソナルトレーナーとしての観点からいくと、より多くの人に運動をしてもらう習慣ができればいいなっていうのがあります。運動をされてない方ってまだまだすごくたくさんいると思うんですね。なので、一人でも多くの人に運動をしてもらうきっかけだったりとか、体を動かす良さだったりとか、そういうのを知ってもらえるようなことをどんどんしていきたいなと思っています。

セクシャルマイノリティの面に関しては、私たちみたいな人も、普通に幸せに何も変わらず生きています、暮らしていますっていうのを引き続きどんどん発信して、辛い思いをしている人が一人でも多く、少しでも救われたらいいなと思ってます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

ありがとうございます。
一人一人が色んな立場、価値観を理解しながら、どんな人も生きやすい世の中になると良いなと思いますね。まだまだお伺いしたいこともあるんですが、お時間も迫ってきたということで、本日は以上で終了となります。

滝沢さん、ありがとうございました!

滝沢ななえ
滝沢ななえ選手

ありがとうございました!

アスリートのミカタ

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