アジア・リーグを渡り歩いたJリーガー
木暮郁哉選手が語る
「失敗のススメ」

2021/01/28

アジア・リーグを渡り歩いたJリーガー木暮郁哉選手が語る「失敗のススメ」

U-19日本代表にも選出されながら、
順風満帆に始まったプロとしてのサッカー選手生活。

しかし、順調には進まなかったーー。

木暮郁哉選手がサッカー人生の中で直面した栄光、挫折。
そして成長。
壁にぶつかった時に、木暮選手は何を考え、
どう行動したのか。

アスリートだけではなく、社会人・就活生・学生にも通ずる
教訓に本インタビューでは迫っていく。

木暮郁哉

木暮郁哉(Kogure Fumiya)

木暮選手は高校までは三菱養和サッカークラブでプレーし、高校卒業後すぐにJ1のアルビレックス新潟に加入しました。その後、水戸や沼津へ期限付き移籍を経て、アルビレックスとの7年間の契約を満了。
その後は海外へ活動拠点を移し、初年度アルビレックス新潟シンガポールに所属し活躍。日本人初のシンガポール1部リーグでMVPを獲得しました。
その活躍が認められ、2016年に同じくシンガポールのホウガン・ユナイテッドFCへ完全移籍。2019年には、カンボジアのソルティーロ・アンコールFCへ移籍して、また今後チーム移籍の動きがあり、さらなるご活躍が期待されます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

木暮さん、どうぞよろしくお願い致します。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

よろしくお願い致します。
経歴は上記説明してもらった通りなんですが、プロの世界で今年で14年目になります。サッカーを続けてきて今現在カンボジアに行って、これから新しいチームが発表になるんですけど、僕が今までプロの中で経験したことだったり感じてきたことを今日お話しできればいいかなと思ってます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

2021年シーズンはカンボジアでプレーすることは決まっているんですか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね、ただ、まだサインはちゃんとしてなくて、、笑
東南アジアってこれがすごく難しいところで、サインするまでわからないんですよね。
続報をご期待ください。

「ソルティーロ・アンコールFC」でプレーをする木暮選手。
次のチームでもご活躍が期待されます。
インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

承知しました。
それでは本題なんですが、そもそもサッカーを始めたのは何歳頃だったんですか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

兄の影響だったんですけども、僕は小学校1年生から始めました。
幼稚園生ぐらいから兄がサッカーやっているところに混ざっていって、地元の少年団に入ったのは小学1年生からですね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

早々にご両親が才能を見抜いたんだとか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

だと思います。笑
ただ、僕自身は本当にただ楽しくてやってるだけで、楽しくできればいいかなと思っていました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

気づいたら、クラブチームに入っていたというのは本当ですか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね、私の意思を確認する前に、三菱養和SC(東京の名門クラブチーム)に入門って感じでした。
当時は本当に行きたくなくて。。新しいチームに入るのも友達できるかなとかすごい心配があったので、行きたくなかったんですけど、「チームのクラブ見学行かない?」って言われて行ったら、それが最初の入会日でした。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

騙されたわけですね。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

騙されました、騙されるところから始まりました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

ご両親からレールを敷かれていたと思いますが、この「レールを敷かれている」ということについて、どう思いますか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

レールに敷かれたことって、今考えてみるとあんまりその…悪いことではなかったのかなって思っていて。
ていうのも、自分がサッカーに対して本当に全力で向き合っていたというか。本当に上手くなりたいと思ってやっていたから、多分両親もそこをサポートしてくれたのかなっていうふうに思います。
なので、よくよく考えたら別にそこまで悪いことじゃなかったのかなっていうふうに今思ってます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど。
ただ、その後もU-19代表に選ばれるなど、順風満帆に実力を伸ばしていったと思うのですが、プロになろうとは思っていなかったんですよね?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね、仕事にしたくないと言うか、ただただサッカーを楽しみたいっていうところがあったので、当時は本当にそこまでなりたいと思ってなかったです。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そんな中でサッカー選手になろうと思った転機があった、と。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

はい。本当にずっとプロを意識していなかった中で、高校3年生の全国大会を決める試合の、数日前にいきなり友達が交通事故で亡くなったんです。

本当に当時は高校3年生で、何が起きたかよく分からない状態でした。その彼とすごく仲も良くて、すごい才能ある選手でしたし、一緒にいつか試合に出てやろうぜみたいな感じで言っていた友達だったので、そいつがいきなりいなくなっちゃって。

全国大会を決める試合は何とか勝つことができて、全国大会には結果的に行けたんですけど、その全国大会ではもちろん心もボロボロだったので、結果を出すことができず、その試合が終わった時にふと彼の意思と言うか、もし彼が生きていたらどういう風にしていたんだろう?とか、彼の未来はどうなっていったんだろう?と考えた時に、すごくやるせない気持ちになってきて。

未来があったのにそうなってしまったっていうのが、すごい心に引っかかっていて、それがきっかけで彼の想いも乗せてじゃないですけど、彼の分までやっぱプロになって頑張ろう、っていう気持ちになりました。

なので、そのキッカケがもしなかったら、もしかしたらこの人生を歩んでないかもしれないので、1つの気づきになった出来事であります。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど。。。
それは大きな転機でしたね。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

本当に大きな出来事でしたね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そんな中、高卒ルーキーとして、コンスタントに試合にも出始めていったんですよね。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

本当にトントン拍子で進んでいったと言うか、、、
高校生からプロになって、今思うとすごいラッキーなんですけど、同じポジションの選手が怪我をして、そこにパッと選手として使われた時に、少し結果を出せた、と。

そこから使われるようになっていったんですけど、当時は本当にもう、ガムシャラにやるしかなくて、周りを見る余裕もなくて。そういう中で、高校生からプロになったので、体ももちろんできていないですし、当時体重が56kgぐらいだったんですね。

本当にガリガリで「こいつ大丈夫か」っていう中でやってたんですけど、案の定プロの中で戦い続けるのはそんなに甘いことではないので、それから怪我に繋がっていって、一年目はケガで終わるっていう感じでした。

アルビレックス新潟でプレーする木暮選手(当時)
インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

これまでがトントン拍子だったと思いますし、今回が初めての挫折って感じだったんですか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

当時はそこがあまり挫折って考えてなかったと言うか、あまり怪我という出来事に対して、ちゃんと目を向けてなかったなっていうのは今振り返ると思いますね。ある程度試合出れていた中での怪我だったので、まだこの先多分大丈夫だろうっていう風な思いはありました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そして2年目からは、7年間の契約も言い渡されていた、と。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね。
ただ、その時に7年間契約したっていうことが自分にとっての慢心に繋がっていったのかなっていうのは振り返ると思っていて。

なので、振り返ってみると、やっぱそこがすごく大きかったのかなと思いますね。もし戻れるとしたら、もっと自分を追い込むような生活スタイルと言うか、一年一年ちゃんと目標を掲げて目標設定をして、もう1回勝負したいなっていうのはありますね。

やっぱりJリーグのプロの世界、ハングリー精神の子たちの塊と言うか。そういう中で、ハングリー精神を持ってない自分は、そりゃ結果残せないよねって今なら思えます。そして苦しい時に頑張れる子たちが結局残っていくんだろうなっていう風に思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど。。
そしてプロからアマチュアの世界に、という流れに繋がってしまうわけなんですね。
当時の心境はどうだったんでしょうか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね(苦笑)
本当にここは一番、自分が話したくない部分って言うか、恥ずかしい部分なんですけど、自分がJ1にいたことで天狗になっていたっていうところは、やっぱりあって。なおかつJ1からJ2のレンタル移籍する中で、まだ7年間の契約が残ってるので、自分がJ2で活躍もしたいと思ってはいたんですけど、やっぱり戻れる場所(J1)があるっていうところに慢心があって。

さっきも同じことを言ったんですけどギラギラしてる子たちがいる中で、そんな奴が残っていけるわけないよね、って本当に今思います。

当時最初は試合に出れていたんですけど、後々出れなくなっていった時に自分のせいというよりか「何で自分のことをわかってくれないのだろう」とか。ほんとに周りのせいにしてたので、今思うとしょうもない時間だったなと思いますね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

これがまた一つの転機でもありましたか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね。
日本での最終年はアマチュアのチームでやってたんですけど、そこでサッカーにかける選手たちと1年間過ごさせてもらって、やっぱり思いの違いと言うか。

「自分は恵まれてるのになんで中途半端になんだろう」って気づきがありまして。契約の最終年でやっとそこに気づきました。でも気づいた時にはもう契約がなくて…という感じだったんです。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

周りに注意・指導してくれるような方はいらっしゃらなかったんですか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね、否定的な意見からすごく逃げていたと言うか、自分のマイナス面から逃げ続けていたので、そういう話をしてくれる人を自分から距離を遠ざけるみたいな。自分が気持ちいいところにずっといたな、という風に思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

「周りのせいにしない」一般社会人にも同様に大切なことですね。
その状態からどのようにして、海外での選手生活がスタートしていくことになったのですか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

契約満了後、ダメ元で合同トライアウトに参加したんです。そしたら、その直後、アルビレックス新潟シンガポールの社長から電話がかかってきまして。そこで、アルビレックス新潟シンガポールに来てみないか、というオファーがあったんです。

首を切られて正直サッカーを辞めることを考えていたんですね。初めてそこで自分と向き合いまして、気づいたことは「やっぱりサッカーが好きだ」ということでした。

ずっとサッカーに人生をかけてきたので、結局サッカーが好きなんだなって思ってた時に、ちょうどアルビレックス新潟シンガポールからオファーを頂いたので、もうここは、神様もなんかの運命じゃないですけど、もう1回やるやるべきだと受け取ったので、決断したっていう感じですね。

シンガポール「ホウガン・ユナイテッドFC」でプレーする木暮選手
インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

ここから木暮選手の海外編が始まるわけですね。初めての海外生活はいかがだったんでしょうか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

海外に行くって決断した時に僕の中で一つ決めた事があって、今までの過去の栄光、今までの自分を一回捨てて、もう1回ゼロからチャレンジしようっていうふうに自分の中で決めて海外に行ったんですよ。

なので、自分の中でのその受け入れ体制ができていたというか、どんな感じだろうと結局自分自身だろう、というふうに思ってはいました。

ただ、やっぱりカルチャーショックと言うか、、本当に日本での環境ってのは素晴らしいものがあって、わかりやすい例で言うと、ちゃんとシャワーが付いてて練習後に浴びれたり…そういう部分でも、シンガポールに行って全然環境が違ったので苦労はしたかなと思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

どうやってモチベーションを保っていたんですか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

それもやっぱり決断する時の自分への誓いがすごく大きくて、環境が変わろうが、結局「自分がどうしたいか」が明確になっていたら、あまり環境に左右されないって、自分は思っていました。

変えられないものって、やっぱ変えられないので、結局は自分が変わっていくしかないと思ったし、どれだけその変化に柔軟でいられるかっていうのは、その時は常に意識してましたね。目の前の状況を全て受け入れて、どうやって適応していくか、に集中していました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

いろいろな経験を経て、サッカーの技術はもちろん、人間的に大切な物事の受け止め方とか、そういう気付きを得られたわけですね。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

ありがとうございます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

シンガポールからカンボジアに移られて、どんな思いで生活をされていましたか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

まず、国的にもシンガポールという経済大国から、いわば途上国に生活をうつして、見方が広がりましたね。僕の強みって先ほども説明していただいたように、今まで経験してきた幅っていうところにあると思っていて、今カンボジアに来てからは、そこに住んでる人たちの生活スタイルだったり、そこに住んでいる日本人の方々の考え方だったり、そういうことを吸収していきたいなって思いながら今も生活を続けています。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

木暮さんのように、変化をしていくためには何が大切なんでしょうか?

木暮郁哉
木暮郁哉選手

大切なのは自分を知ることだと思っていて、その都度その都度、自分が何に幸せを感じるのかだったり、何をされたら嫌なんだろうなっていうことを常に探している、見つけるということをしてるような気がしますね。

また、自分が幸せを感じる時って、1人でいる時ではない、ということに気づきまして。周りに誰かがいてくれて、自分の嬉しかったことを共有した時に、自分は幸せを感じるなと思っているので、そこを軸に「どうしていったらいいのかな?」ということことは常に考えるようにしてます。

応援してくれる人達にどうすればハッピーになってもらえるか?そのために自分は何ができるか?何をしなければならないのか?というところも自分の軸になっています。

カンボジアのファンの子供と肩を組む木暮選手
インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

まさに、社会人にも当てはまることですね。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

そうですね。自分が自分が、というよりも、自己を変えてみる。そうすると色んな人から応援があって支援をもらえたり良い循環が生まれていく。コロナ時代だからこそ、大切かもしれませんね。

人とのつながりだったり、もしかしたらこれはスポーツとは本当に関係ないのかもしれませんけど、1人の人として生きていく上では「繋がり」は大切にしていきたいなと思ってます。

一つの事を真面目に頑張ることってなかなか難しいことだと思って、でもそういう姿を見せ続けていれば、甘いかもしれないんですけど、困った時にも絶対に助けてくれる人はいると思ってるし、これからもそういう姿を見せて「あいつ頑張ってる」「自分も頑張んなきゃな」と思われる存在でいたいと思っています。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

最後に、20代の方へのメッセージをお願いいたします。

木暮郁哉
木暮郁哉選手

とにかくドンドン、チャレンジをして欲しいというか、行動してほしいなと思っています。僕は勝負の世界で生きているので、その世界観でお話をさせてもらうと、勝負の世界の中で勝ち・負けはありますけれども、僕の概念的には勝負に出た時点で「勝つこと」か「学ぶこと」しかないと思っているんです。

なので、失敗っていう概念ではなくて、学ぶことだったり、成長することがセットでついてくると思うので、そこは常に頭の片隅に置いておいて欲しいと思います。

また、そのチャレンジした瞬間、行動した瞬間から、成長が始まると思っているので、そこはもう本当に何の恐れもなく、どんどんチャレンジしていってほしいなと思ってます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

木暮さん、今日はありがとうございました!

木暮郁哉
木暮郁哉選手

ありがとうございました!

番外編

Q1.今アスリートを目指している方へ、木暮さんの経験から何かアドバイス

A1.今アスリートを目指されている方に向けて経験からアドバイスをするとしたら、僕が見てきた成功してるアスリートたちって、どれだけ小さいことを継続できるか、毎日どれだけプラス1の成長をし続けられるかっていうところがすごい大事なファクターになってくると思っています。ありきたりかもしれないけど「地道な1日プラス1」を積み上げるっていう作業を止めない、継続するっていうことが1番の近道なのかなって思っています。

Q2.2020年コロナ禍の心境・過ごし方

A2.先が見えない中で、何に向かって行くんだっていう不安はありました。ただ同時に、逆にその期間の中でどれだけ成長できるのか?どれだけ自分の考えをポジティブにできるのか?というところに行き着きましたね。

もちろん何日間かは、人間なので落ち込むこともあるし、無理だなって思う時もあるんですけど、結局それも自分と向き合って、この先どうしていったら、自分にとってプラスになっていくのか?成長していけるのか?っていうところを明確にしたら、やる行動っていうのは決まっていくと思います。

自分はその時には、体のコンディションあげていくことを意識してやりましたね。

Q3.目標とする生き方

A3.僕がかっこいいなって思う人って、いつもなんかチャレンジしてる人・挑戦してる人なんですよ。なのでこれからも、たとえサッカーを辞めても40歳50歳になっても、挑戦する姿っていうのは絶対に見せていきたいなって思いますし、常に挑戦し続ける人でありたいと思います。

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