頂点を極めた羽生直剛が、
ゼロから挑戦する理由(ワケ)

2021/03/22

頂点を極めた羽生直剛が、ゼロから挑戦する理由(ワケ)

3年で終わると言われながら飛び込んだ、
プロサッカーの世界。
オシム監督との出会いが人生を変え、
日本代表選手にまで上りつめる。
16年間、38歳になるまでプロとして活躍し、
2017年に引退——

引退後、新たな挑戦をはじめた羽生直剛さん。
今もなお、全力で走り続けるその原動力は何なのか。
本インタビューでは、その核心に迫ります。

羽生直剛

羽生直剛(Hanyu Naotake)

1979年12月22日生まれ。千葉県出身。2002年に筑波大学からジェフに加入し、オシム監督に重用されてレギュラーに定着。2006年に日本代表に初招集され、2008年までに国際Aマッチ17試合に出場した。その後、FC東京、甲府でプレーしたのち、2017年にジェフに復帰。翌年に引退し、FC東京の強化部スカウトを経て、現在は自身が立ち上げた会社「Ambition22」の代表を務め、現在は新たなフィールドで挑戦中。

プロサッカー選手時代

プロへの道

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

本日はよろしくお願いします。

羽生直剛
羽生直剛選手

よろしくお願いします。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

まず、元々羽生さんは筑波大学で大学生をされていて、大学3年生までプロになれると思っておらず、教員になろうと思っていたんですよね。

羽生直剛
羽生直剛選手

はい。やっぱり高卒でそのままプロに行く人たちを見ていて、そういう人たちがプロになるんだろうなって勝手に思い込んでいたのがあります。

あと、僕は身長が小さくて体も細いので、僕なんかがなれるところではないのかなって思ってましたね。

小さい頃から体育の先生とかいいな~って思っていたので、プロに行きたいっていう気持ちもありつつ、ダメだったら教員になろうと思っていました。そういうのも含めて筑波大学に進んだっていうのがあります。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

優秀でサッカーも強い大学ですよね。
スポーツ推薦で入学されたんですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

そうです。
全国ベスト8以上といったサッカーの成績とか、評定が4.2以上とか。あとは小論文、面接だったり全部クリアしないといけなくて、高校の時は勉強もそれなりに頑張っていました。

オシム監督との出会い

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

大学3年生の時に、先輩がプロになったことで意識が変わったそうですね。

そこから、4年次に関東選抜で参加したデンソーカップでMVPを獲得したりとか、関東大学リーグでMVPに選出されてプロへの道が開けたということで。

プロになっても3年で終わると言われていた中でプロの世界に飛び込んで、日本代表まで駆け上がっていった、というシンデレラストーリーを歩まれていますが、やっぱり羽生さんと言えば、オシム監督ですよね。

@JFA
羽生直剛
羽生直剛選手

よく調べてますね(笑)
プロに入って2年目でオシムさんに出会って、そこから今でもその人の教えが僕の根源にあるくらい、大きな存在ですね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

それはサッカーに留まらず、ですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

そうですね。
どちらかと言うとサッカーもそうでしたけど、哲学的な面というか、生き様みたいなところがすごくカッコイイ人で、それを真似したいと思っていて。僕もそういう面を、自分のふるまいの中で周りに伝えられたらいいなと思ってます。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

「オシムの言葉」という本がベストセラーになったくらい、哲学者のような方でもあるし、名言がたくさんある方ですもんね。

そのオシム監督から、「羽生はそのポジションにもっと良い選手がいても、どこかで使いたくなる選手だ。」と言われたそうですね。

どういったところがそのように評価されたんでしょうか?

羽生直剛
羽生直剛選手

言うことを聞いて、よく走るからでしょうね。
だって、走らないと怖かったんです(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そうだったんですか?(笑)

羽生直剛
羽生直剛選手

冗談です(笑)
ベースは本当にそういうところもありますけど、サッカーへの理解という面で、「よく考えている」と言われていました。

あとは、僕は基本的にミッドフィルダーっていう攻撃的なポジションだったんですけど、守備的な要素があるポジションでも、よく頑張ると評価いただけてましたね。体の小ささとかよりもそこを評価してくれて、よく使われていたというのはあると思います。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

そういった背景があって、オシム監督のもとで日本代表選手にまでなって、存在感を強めていかれたということですね。

選手時代について、是非聞きたい事がたくさんあるんですが…今日は、アスリートのセカンドキャリア、引退から現在に至るまでを中心にお伺いできればと思います。

引退後のセカンドキャリア

セカンドキャリアについて

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

38歳までサッカー一本でやってこられた中で、引退を考え始めた時に、セカンドキャリアについてはどのように考えられていたんでしょうか?

羽生直剛
羽生直剛選手

次何をやるかについては、あまり考えてなかったです。

プロに入った当初、周りの人に3年で終わると言われていたので、3年で終わるんだったら1日1日を全力で積み重ねなきゃいけないっていうマインドだったんですよね。

今日100%でやって何かがついてくる、っていうのをちょっとずつ積み重ねて、やっとそれなりの実績を出すことができるっていう感覚だったので、明日を考えずに、最後まで全力でやるっていうのを貫きたかったっていうのがあります。

本当は途中から次のキャリアのことを考えた方がいいのかもしれないんですけど、僕は今を全部やりきって、次に何が見えるのかはその後だっていう感じでした。

@JFA
インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

やり切るところまでは、不安だったり葛藤とか、そういったものはあまり感じなかったんですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

ある意味、僕は1年目から常に不安でした。今年ダメだったら来年がない、みたいな。特に30歳過ぎてからは、もう単年契約しかしてもらえなくて。

要はクラブからしたら、「30過ぎた羽生はいつ使えなくなるか分からない」ということですよね。

「今日何かしなきゃいけない、次の試合で何かしなきゃいけない。それができなかったら来年がないんだ。」という危機感の中で1日1日、1年1年勝負して、良い意味で裏切っていくサイクルを続けて、結果38歳まで続けられたのは僕の成功体験になりました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

40歳手前の年齢になってくると、今年だろう、今年だろうというのがあったのでしょうか?

羽生直剛
羽生直剛選手

何歳であっても、選手が「やれる」って思っていればプレイに表現されると思っているので、僕はやれると思っていました。

僕も最後の1年ジェフに戻ったのも、別に引退しに戻ろうと思ったわけじゃなくって、ジェフでJ2だったらチャンスがあって活躍できるかもしれないと思ったし、リーダーというか、引っ張っていく役を担えるんじゃないかと思って行ったんですよね。

ただ、そこで怪我…膝に水が溜まるようになっちゃって。そうなると、練習すらできない選手をクラブが扱うことになるし、「クラブにとってメリットにならないから僕はやめる」っていきなり決めました。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

選手として完全燃焼しようというスタンスを1年1年と続けられてたということですね。

引退後の選択

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

引退後は、FC東京の強化部スカウト担当として就任をされていますが、この選択肢を決めたのは何かきっかけだったり、展望、自信、そういったものがあって決断されたんですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

決めた理由は、サッカークラブがどうなっているのかっていう裏面を知りたかったのと、まずコーチかフロントだったら、消去法でコーチはやらないって決めてたんです(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

どちらかといえば指導者をやりたいっていう人の方が多そうですが、そうではなかったんですね。

羽生直剛
羽生直剛選手

指導者になるってことは、オシムさんと同じ土俵に入るわけですよね。
オシムさんよりいい監督になりたい、と覚悟を持ってやればもちろん頑張れると思うんですけど、あの人に勝てる自信がなかったっていうのがあります。

例えばFC東京の高校生、ユースチームを見て、10人中8人はオシムさんだったらトップチームに上げられるとして、僕は2人しか上げられなかったってなったら、僕は6人の人生を壊しちゃうのかなって思ったんですよね。
それを毎年やっていくのがこう…厳しかったです。

僕気にしいなんで。
ネガティブだし(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

気にしいなんですか?(笑)

羽生直剛
羽生直剛選手

はい(笑)
なのでその6人の子をどうしよう…って気にしちゃう中で、それを毎年繰り返すのは自分もきつくなると思ったので、コーチはやらないって決めていました。

それをオシムさんに会った時に言ったら鼻で笑われましたけど。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

でもそれってオシムさんと比べた場合ですよね。

羽生直剛
羽生直剛選手

そうですけど、僕の中ではそれが指導者だと思っているんで、そこに至らない人は…

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるべきじゃないと。

羽生直剛
羽生直剛選手

僕の中ではそう思っています。あのレベルまで行ける自信があるのであれば、そこまでのモチベーションがあるのであれば、なればいいとは思うんですけど。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

それで、コーチかフロントの2択ならフロントだったということですね。
自ら望んでというよりも、そういう道を提示されたのでじゃあやってみようかな、
という感じだったんですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

そうですね。
クラブから話をもらった時に、コーチは嫌だからじゃあこっちがしたいという風に決めました。

アスリートと社会とのギャップ

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

現役を引退されて、アスリートから大手企業の契約社員になったということで、そこのギャップは大きそうですが、その点はいかがでしょうか?

羽生直剛
羽生直剛選手

選手ではない仕事をやってみて、やっぱり違和感はありましたね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

何かこれまでと違う面があったんですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

これまでは、結果を出せば来年がある、出せなければ来年はないという世界でやってきた中で、来年があることが当たり前な世界なのかなって思ってしまったというか。もちろん、会社や雇用形態によってはそうじゃないこともあると思うんですけど。

サッカー選手って勝つことが目標だし、プロだったらポジション取るか取らないかだとか。白か黒かみたいなところだったので、今までの成果主義の世界との違いにギャップを感じましたね。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

自分がスカウトで取った選手がいずれチームの中心選手になっていったり、日本代表になっていったりして、長い目で見るとリターンがあったりすると思うんですが、そこに何かを感じることはなかったのでしょうか?

羽生直剛
羽生直剛選手

それはもちろんありました。
僕が取った選手が、高卒の2年目とかで出始めたりすると、「羽生、良い選手取ってきたな」って世間が言ってくれるんで、そうでしょ?って思いました(笑)

でも、「僕じゃなくてもできるかも。」って思っちゃったんです。

良い選手っていうのは大体決まっていて、他のチームと競合して取り合いになった時に、もしかしたらプレゼンが上手な人の方がうまく取れるのかなとか。

それから、僕は選手だったからこそ、「うちに入るより、もしかしたらそっちの方が幸せかもしれない」って思ってしまったりとか、スカウトする時に「最後はお前が決めてくれ。」って泳がせたりしちゃったんです。それでうちに来れなかったっていうことがあったので、もっと強引に印鑑もらいにいかなきゃいけなかったのかなと思ったり。

でもやっぱり、「その人の人生は、俺の一言で決まってしまうのか?」っていう元選手としての優しさみたいなものが出ちゃう時があって…。まあ向いてなかったんでしょうね。

羽生直剛にとっての「頂点」とは

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

「頂点を極める」というタイトルでやっていますけど、羽生さんは頂点を極めていないっておっしゃるんですよね。日本中のサッカーをやっている子供たちからすると、日本代表なんて頂点も頂点じゃないですか。

今回のタイトルには納得されていないのでしょうか?(笑)

羽生直剛
羽生直剛選手

納得していないですね(笑)
たしかに16年間もやれたんで、僕ですら奇跡に近いと思っているんですけど、だからといってこれから残りの人生を何もせずに生きれるくらいの、何かがあるかと言ったらそうでもないじゃないですか。

海外行ったような選手、本田圭佑選手とか長友佑都選手とも一緒にやりましたけど、彼らは名前もあるし、何やったってビジネスになりそうですし、大成功者って言えると思います。

少年少女に夢がないとか思われちゃうのかもしれないけど、でも、僕とかはここからもう一回、ゼロから始めないと食べていけないですし、僕はここからもう一回、一般的に成功者って言われるところに挑んで、それが出来た時にもう一回胸を張りたいというか、そういう気持ちでいます。

これまで20年間プロサッカー選手としてやってきたけど、次の20年間でプロサッカー選手の時より良いキャリアを過ごせたとしたら、ベストキャリアは40歳から60歳っていうことになるじゃないですか。

そしたら、ファーストキャリアは何だったの?ってなるじゃないですか。
ファーストキャリアとかセカンドキャリアっていう考え方じゃなくて、一つの人生として臨むことの方が大事なんじゃないかなって。

皆さんが言う僕の頂点は、サッカー選手としての頂点かもしれないけど、僕にとっての頂点はまだあるかもしれないし。

なので、サッカー界で一生分の何かを得たわけではないので、頂点って言っても、こんなもんです。
(指で小ささを表現するジェスチャー)

これからの挑戦

40歳でゼロから始める挑戦

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

例えば入団して2年くらいでキャリアが終わってしまう人の場合は、比較的に次を始めやすかったりすると思うんですが、羽生さんの場合は38歳までやられて、(私にとっては)頂点まで極めていかれた中で、そこからまた、ゼロから始めるっていうギャップについてはどうでしょうか。

羽生直剛
羽生直剛選手

僕もゼロからだと思って、もっと勉強しなきゃいけないなって思いながら過ごしているんですけど、起業した会社では、セカンドキャリアをスタートするアスリートの受け皿になりたいとか、アスリートの価値を世間に示していきたいっていう気持ちがあって、そこで言うと僕はサッカーからすべてを教わったはずだって思っていて。

サッカーでやってきたことを、ビジネスに横展開できるんじゃないかって思うんです。その気持ちや経験を綺麗に言語化してビジネスに適用出来たら、今はゼロかもしれないけど、一気に50や80まで上がったりするんじゃないかな、って勝手に思っているんです。

例えば元アスリートで、「僕この競技しかやってなかったから、これくらいしかできないんですよ」って言う人を、「いや、そんなことないよ。あなたがここまでやってきたことは、こういうことになる可能性を秘めているよ。」って。

もちろん学ばなきゃいけないし、ビジネスに転換する努力も必要だけど、それを掴んでしまえば、「あなたがこれまでやってきたことと同様に、もう一回幸福度の高い仕事ができるんじゃないか」って言いたいので、そういうアンテナで過ごしています。

今もなお生きるオシム監督の教え

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

見方によってはゼロですけど、考えようによっては、何かの競技生活の中で会得したものは、根っこは同じで、こういう風に応用できるんじゃないかっていう事ですよね。

羽生直剛
羽生直剛選手

はい。それこそオシムさんから教わったことで。

僕がプロに入った時のジェフって、中間くらいのチームだったんですよ。優勝争いなんてしたこともない中で、僕がプロ1年目の時には8位くらいで終わって、チームが「今年良かったな~」という雰囲気だったんですよ。

次の年にオシムさんが来て、「お前らなんでそんなんで満足してんだ?」って言われて。何故お前らはそんな中くらいのお金もらって、何がそんな満足なんだ?」みたいな。

中間のチームっていうのは、降格するプレッシャーもストレスもなければ、優勝争いして今日は絶対負けられないっていうストレスもないっていう立ち位置で。

「そこに留まるのは楽かもしれないけど、豊かな人生ではない」っていう風に言われて。日本代表選手がいるわけでもない僕らに、「俺はこのチームで優勝したいと思ってる。お前らは選手としてなぜ代表選手を目指さない?」って平気で言うわけですよ。

で、チームはその年から優勝争いしたし、僕なんかで言ったら、その何年後かに日本代表選手にまで持ち上げられちゃったんですよ。自分では、「僕なんてこんなもんだよ。」って思ってたのに、そこまで行かせられちゃったっていうか。

それを経験したので、例えば引退したアスリートが、「僕なんてこんなもんですよ」って言ってたとしたら、それって、当時の僕と一緒じゃないですか。

「僕こんなもんで…」ってなってた時に、オシムさんがそうじゃなくしてくれた経験があるじゃないですか。「もっと上を見ろ、勝手に限界決めんな。もっと上があるはずだよ。」っていうのを僕は教わったんで、それを伝えていきたいっていうのがあって。

サッカーの経験に、そういうことがすべて詰まっているはずだって僕は思っています。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

確かにそれだけの経験をしていれば、道しるべさえ示すことができれば、本人が気付いていなかった才能を開花させられたりできるかもしれないですよね。オシムさんすごいですね。

羽生直剛
羽生直剛選手

本当、自分で限界を決めんなって言われている気がして。
「もっとチャレンジしなきゃだめだ」とか、「それはサッカーも人生も一緒だ」とか。

「点を取るためには、誰かがどこかでリスクを冒さなきゃ取れないでしょ、それは人生も一緒だろ」って言われたんで、アスリートを引退して40過ぎてから起業するのはリスキーって一般的には思われるかもしれないけど、それはやってみないと分からないって思います。

これでできなかったら、オシムさんのせいです(笑)
僕は完璧にやっていると思っているので。

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

体感として、「勝算あり!」なんですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

現状で言うと、僕が考えているような仕組みを作るためには、もっと知識も必要だし、ネットワークも必要だし、認められなきゃいけないし、結果も残さなきゃいけないし。

でもそれって、サッカー選手の時と一緒なんです。

今はこういう状況だけど、勝算があったことはサッカー選手だった時もないんで。
そこは積み上げなきゃっていう気持ちでいます。

「Ambition22」のビジョン

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

今は起業されていて、先程名刺もいただいたんですが、Ambiton22ですね。
HPもあるということで、結構こだわりがあるんですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

オシムさんに、常に野心を持てって言われてたんで、「ambition」っていう文字を会社名に入れたくて、会いに行った時に「ambitionって英語で書いて」って言ったら、頑なに書いてくれなくて。
母国語のボスニア語で、野心(ambicija)っていうのを書いてくれました。頑固おやじですね(笑)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

なるほど(笑)
先程の話とも通じると思うんですが、新しく設立された会社では、具体的にどういったことをやっていきたいですか?

羽生直剛
羽生直剛選手

僕は今、FC東京の事業部という、スポンサー周りの部署でも働かせてもらっていて、既存のスポンサーさんや新規のスポンサーさんに、一緒に回らせていただくことがあるんです。

その企業に、サッカークラブやアスリートに価値を見出してもらうというか、サッカークラブをうまく利用して、企業にメリットの出るような形を作ることに興味があって。

どっちかっていうと企業寄りについて、「FC東京を利用してくれませんか」とか、「こういう形でだったら、お互いメリットになりますよね」っていうのを作れるようになりたいっていうのが一つです。

ゆくゆくは、アスリートやスポーツの価値っていうのを話して企業に広がっていけば、引退したアスリートが、次のやりたいことが定まった時に、その企業と繋げてあげることができると思うので、今は企業さんと繋がることがしたいですね。

引退したアスリートって、やっぱり1~2年は何がやりたいのか分からないと思うんですよ。
僕もそうだったんですけど、スカウトやって、「あ、社会ってこうなんだ。」って思ったこともあったし、自分でこういうことやりたいな、っていうことも出てきたので。

その1~2年の受け皿になってあげて、次本当にやりたいことを考えさせてあげて、アスリート達に寄り添って、社会性を持たせてあげたいなと思います。カウンセラーじゃないですけど、次やりたいことはこういう事!っていうところまで持って行ってあげたいです。

具体的には、まだ1~2年だったら、認知度ってまだ残ってると思うので、地域でサッカークリニックみたいなイベントを開いて地域貢献をしてもらって、そこから戻って来たら逆に本人たちが社会のことを教え込まれて。そしたら土日にまた地域に行って。それを繰り返してたら、価値を無駄にせず、次のキャリアにも繋げられるようになったりすると思うんです。

僕の立場からしたら、企業に責任を持って送れるようにできたらいいなと思います。

元アスリートの障壁となるもの

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

いわゆる社会に出るためのウォーミングアップ期間みたいなものですよね。
アスリートのセカンドキャリアにおいて、障壁となるものは何だと思いますか?

羽生直剛
羽生直剛選手

アスリートってコミュニケーション能力が高いとか、忍耐力があったりとか、チームとしての協調性があるとか色々良いイメージがあると思うんですけど、そもそもパソコンいじれない人がいるわけじゃないですか。あとは拘束時間とかも受け入れられない方もいて。

サッカーで言うと、午前中2時間やって後はフリーっていう中でお金をもらってたりするので、そのプライドとかも障壁になったりしますね。その変なプライドとかを、そういうもんだからって教えてあげたりしたいです。

僕もスカウトをやっていた時に、やりたいこととやりたくないことを書き出したんですよね。5年後10年後、こういう風になりたいっていうのがあって、そこからの逆算をしました。

そしたら今のままじゃ足りない、そのためには学校に行かなきゃいけないってなるわけじゃないですか。

僕はそれを考える事からやり始めて、やっと気付けたので、いかにそこに気付けるかっていうのがあると思います。

羽生直剛がゼロから挑戦する理由(ワケ)

インタビュアー樋口
インタビュアー
樋口

では最後に、タイトルの通りではあるんですが、羽生さんがゼロから挑戦する理由(ワケ)は、なんでしょうか?

羽生直剛
羽生直剛選手

僕の中で、豊かな人生は常に「チャレンジしていること」と「野心を持っていること」です。

次オシムさんに会って、「お前は野心を持っているのか?」って聞かれた時に、「持ってる。」って言いたい。それだけです。

周りの人たちも、「ここでいいや」って止まった人に、興味って持ってくれないんじゃないかなって思うし、走り続けようとしている人の方が興味を持ってくれると思うんです。

更には、走ろうとしている人から「一緒に走りたい」って言ってもらえる人になりたいと思っています。

だから基本的には消去法ですね(笑)
そこに、絶対的に成功する確信とかはないんですけど、あっちかこっち、どっちがいいかってなったら、こっちの方がいいわっていう選択をしているんだと思います。

質疑応答

Q1.選手のどこを見てスカウトしていましたか?

A1.一応16年間プロサッカー選手やっていたので、誰かに当てはまるような人を探しましたね。
例えば走り方一つにしても、この子怪我しそうだな、この走り方の人で一緒にプレーした人いないな、みたいな感覚でスカウトしていました。

フリーキックが上手かった選手の蹴り方に似てるなとか。シルエットだったりフォームみたいなところで大体分かります。交代の選手まで出てき終わってから、気になる人がいなかったらすぐ帰ったりしていました。これ言ったら怒られちゃうかもしれないですけど(笑)

気になったら次の試合も見に行ったりしていました。

Q2.スポーツをひたすら頑張ってきた方々の良さは何だと思いますか?

A2.逆に、僕も企業側の人に意見を聞いてみたいですね。そういう人の価値って何なのか?って、僕も考えているところです。一つの目標に向かって犠牲心を持ちながら何かを成し遂げる力があるとか、仲間たちとコミュニケーションを取りながら協調できるとか、厳しい練習とかに耐えられて、更に上を目指せるところ、とか漠然に思っているんですけど、僕は天邪鬼なので、果たしてそうなのか?っていう疑いをちょっと持ちながら、実はそこじゃないんじゃないかと思ったりしています(笑)

Q3.セカンドキャリアに向けて、選手に学んでほしいことは何ですか?

A3.選手だったことを忘れる努力をして欲しいです。本田圭佑選手とか、長友佑都選手のような大成功者以外の方だと、2~3年すると名前を忘れられるじゃないですか。

僕も今は「羽生だ!」って誰にも言われないですよ。これまでのことを強みとして生きる事も大事ですけど、選手だったことをなかったことにして、これからの人生をより良いものにするっていう努力をしなかったら、やっぱりしんどいんじゃないかなって。

元サッカー選手ですって言っても、これからゴロゴロ出てくる中で、あ~そうなんだで終わる時が来ると思います。「僕は今、こういうことやっているんです。」って胸張って言えるようになる努力をすることが大事かなと思いますね。

オシム監督も、記者に「前回の試合で勝ったことが良い形で出ましたね」と言われた時、「前回もらった花はもう枯れてるよ。」と言われたときがあって。それは終わった話だみたいなことを話されていて。

僕もサッカー選手だったこと、花をもらったこと、ちやほやされたことはとっくのとうに枯れていると思っていて、それをまだ咲いているかのように話すのは嫌なんです。

もちろん、元日本代表選手だって言ってここにいさせてもらっているのでありがたいことですけど、それを強みにしすぎるのは危ないんじゃないかなと思います。

それは自分の評価じゃないですか。自分が「やった」って思ってたとしても、周りから評価されてなかったら意味ないじゃないですか?

Q4.選手が現役の最中にセカンドキャリアを考えることは、逃げ道を作るようなことになるのでしょうか?

A4.正直、答えとしては僕も分からないです。
例えば、次のキャリアを考えて選手と並行してアパレル業をやって、服がめちゃくちゃ売れたら選手の方がやる気なくなってしまったりとか。次の日が試合で、21時に寝るのが選手としてベストなのに、21時以降にアパレルのミーティングをやらなきゃいけないってなった時に、どっちを取った方がいいのかとか。

昔は、そういうのは良くないっていう考えがあったかもしれないけど、最近は次のキャリアで失敗している人も多いので、現役の時から次のことを考えて用意しておくことは、逃げ道かどうかというより、必要になってくるんじゃないかなと思いますね。

Q5.挑戦をしていく中で、自分の感情で立ち止まってしまうことがあると思いますが、努力を積み重ねていくことを、どのようなモチベーションで保っていますか?

A5.僕の場合は、ネガティブでもあるし、恐怖感とか危機感を強く持ってしまうタイプだったので、それを打ち消すためにはこうしなきゃいけないし、もっと活躍しなきゃいけないっていうマインドでした。

これが嫌だからやらなきゃいけないっていうネガティブなところから持っていく人でした。

試合の前とかも、リラックスと緊張の間に持って行かなきゃいけない時に、僕は緊張からリラックスに持って行かなきゃいけないタイプだったので、お笑いの動画を見たりとにかく笑うことをしないと、と色々試しました。

嫌なことを避けるためには、これをしなきゃいけないっていうのが結果的にモチベーションになっていました。不安をプラスに持っていけるのが僕の特徴なのかなって最近思っています。

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